環on 映画会に行ってきました。
月イチで京大の先生が案内人となって、おすすめの映画を紹介、解説してくれる映画上映会。
先生方がこれまでに出会った最も素晴らしい映画を紹介してくれるため、
基本的にハズレ映画がないのが特徴。
今回は精華大学でドイツ文学・現代文明論を研究しておられる池田浩士先生が案内人となって、1958年のポーランド映画「灰とダイヤモンド」を紹介してくれた。
ポーランドはロシアとドイツに交互に支配されてきた歴史がある。
この映画では、1945年5月8日から9日、つまり、第2次世界大戦でドイツが連合国軍に降伏した日の前後の2日間の出来事が絵描かれている。
当時のポーランドはナチスドイツによる支配からソ連の「解放軍」によって「解放」されていたものの、結局「解放軍」と呼ばれるソ連軍によりソ連に支配される形となっており、また過去の歴史もあって、ポーランド国民の間では反ロシア感情が根強く残っている。
メインとなる登場人物は、第2次世界大戦当時、祖国ポーランドを追われロンドンに亡命したロンドン亡命政権の一派の国内軍に属するアンジェイとマチェック。
2人は「ワルシャワ蜂起」を地下下水道で戦った数少ない生き残りであり、親友である。
自由のための戦いによって多くの仲間を失ってきた歴史を背負って生きている。
2人は、ロンドン亡命政権系の国内軍に属しており、ソ連亡命から帰ってきたポーランド労働者党(共産党)幹部のシチューカを暗殺する命令を受ける。
シチューカはポーランド人であるが、社会主義国ロシアとの関係が深いため、ロシア・ソヴィエトと敵対する亡命政権系の国内軍にとっては、憎むべき対象となっていた。
そのシチューカも、ナチスドイツによるポーランド占領時の強制収容所の生き残りであり、スペイン内乱での社会主義系の軍組織「国際旅団」の生き残りでもある。
彼もまた、多くの戦友の死を回想しながら、その命と歴史を背負って生きている。
ソ連共産党と繋がりが深いとはいえ、同朋のポーランド人であるシチューカを暗殺することに、マチェックは躊躇いを感じる。
マチェックは、敵と戦う(人を殺す)ことを目的とする生き方を変えようとし、ホテルのバー・ウェイトレスのクリスティーナを愛することで、それを果たそうとする。
歴史と偶然に翻弄され、それぞれに死者の命と歴史を背負った登場人物たちの生き方や考え方が、映画では鮮烈に描かれてて、素晴らしい映画でした。ここ最近見た映画の中では間違いなくトップの映画。紹介してくれた池田先生に感謝。
池田先生による丁寧な解説を受けてから映画を見たおかげで、多くの気づきがありました。
自分ひとりでこの映画に出会っていても得られなかったものを沢山得ることができて良かったです。
以下、解説と懇親会で出てきたトピックのメモ
「残念ながら、「歴史」と「個々の人間の人生」の関係について考えて見ると、人間の生ではなく、歴史が主人公であるらしい」
→なぜ映画会のテーマを『「歴史」にとって人間の「生」とは何なのか?』としたかという質問に対して。
歴史に翻弄されて生きて死ぬ人々が厳然としてそこにいるという事実。「歴史を語る時、そこにマチェックは登場しない」
「自分の身近な人が殺され死んでいくことを悲しむことが許されない時代があった」
→マチェックに心を開くことを拒もうとするクリスティーナに対するコメントの中で。
クリスティーナは、家族も兄弟姉妹も失っている。その状態に対し、悲しむべき人がいない私は幸運だとクリスティーナは言う。
「かつて一度でも起こったことは、またいつでも実現させることが可能である」
結局、この映画で起こった出来事には意味がなかったのか、という質問に対して。
結果はどうにしろ、一度そこでそれが起きたという事実は大きな意味を持つということか。
結局、何がダイヤモンドで何が灰なのか。
マチェックは、クリスティーナに「君がダイヤモンドさ」と言う。
池田先生の意見は、「生き方を変える」ことを決断しようとしたマチェックの中にあるのがダイヤモンドであるということ。
その決断を実行しない限り、ダイヤモンドは灰の中に埋もれ続ける。
個人的には、ダイヤモンドは「今ここに生きている人」であり、灰は「死んでいった人たち」だと感じた。友人や家族の死に面しながら生き残ってきた登場人物たちは、多くの死の重みを背負って生きている。その友人たちの思いの結晶(ダイヤモンド)が、いま生きている主人公たちの中に宿っているという解釈。正義(もしくは「良いこと」)の象徴としてダイヤモンドがあるのではない。死者を背景としてそれぞれの登場人物が見に付けた個人の歴史がダイヤモンドであり、そのダイヤモンド同士が濃密にぶつかりあう様子が描かれている作品なのではないだろうか。なんとなく、ですが。